蔦重・浅草めぐり(10) 新吉原花園池(弁天池)跡 寺澤禎則

江戸時代の吉原は、入口は大門しかなく、そのまま真っ直ぐ進むと
お歯黒どぶに突き当たって行き止まりでしたが、
現在は仲之町通りを進めばそのまま吉原を抜けることができます。
道が左にカーブした左側に、新吉原花園池(弁天池)跡があります。

説明板には、こう書いてありました。

新吉原花園池(弁天池)跡
 台東区千束三丁目二二番

 江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在
していたが、明暦三年(一六五七)の大火後、幕府の命により、
湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊廓が移された。以米、
昭和三三年までの三〇〇年間に及ぶ遊廓街新吉原の歴史
が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源
泉となった。
 遊廓造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が
祀られ、遊廓楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七
福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
 池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正一二年の関
東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、四九〇人が溺死
したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に建つ大き
な観音像は、溺死した人々の供養のため大正一五年に造立
されたものである。昭和三四年吉原電話局(現在の吉原ビル)
の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留
めるのみとなった。

 平成十年三月
  台東区教育委員会

本部(水)・ソレイユカルチャーセンター三郷(月)講師
寺澤 禎則
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