和歌山城(4) 天守 寺澤禎則

本丸御殿跡から眺めた和歌山城天守。

天正13(1585)年、最初に天守を偶然たのは、秀吉の命を受けた弟の秀長。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに続いて、浅野幸長は現在の形に近い天守を建てました。
弘化3(1846)年落雷で焼失後、嘉永3(1850)年に復元。
昭和20(1945)年の和歌山大空襲で焼失、昭和33(1958)年に復元され現在に至ります。

天守は大天守に多門、櫓、小天守などが連なる連立式天守で、
建物がぐるっと取り囲むように台形に連なっています。

本部(水)・ソレイユカルチャーセンター三郷(月)講師
寺澤 禎則
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