昨日より風も弱まったので、神奈川県愛甲郡愛川町にある三増合戦場碑まで、
片道1時間半ほどのバイクツーリングをしました。
三増合戦(三増峠の戦い)は、このような戦いでした。
永禄12(1569)年10月、武田信玄が2万の将兵をしたがえて、
小田原城の北条氏康らを攻め、三増峠を通るルートで帰国しようとした。
これを察した氏康は、息子の氏照、氏邦、娘の夫綱成らを始めとする2万の将兵で
三増峠で迎え撃つことにした。
はじめ北条軍は武田軍を押し、武田方の大将浅利信種が北条軍の鉄砲に撃たれて
討死した。しかし山県昌景隊が北条軍の後ろから挟み討ちをかけたため、
北条軍は総崩れとなって敗退した。
北条氏康、氏政親子は援軍として向かっていたが、
味方の敗戦を知って小田原へ引き返した。
信玄は深追いせず、甲府へ引き揚げた。
石碑の傍らには、平成10年に発見された当時のものと思われる人骨を埋葬した
慰霊碑があり、少し先に首塚・胴塚が残されており、
激戦ぶりが偲ばれます。
本部(水)・ソレイユカルチャーセンター三郷(月)講師
寺澤 禎則
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