「与那国御嶽」があり、その初代司「仲間サカイ」が与那国御嶽のアコウ木から
鷲の親子が元日の朝、東方に向かって飛び立って行く姿を見て、
即興で「鷲ユンタ」を詠んだ。
それを大宜味信智が節歌として作り替えものであるということです。
そのいわれとは別に、仲間サカイは大浜村の豪族「オヤケアカハチ」によって
殺された川平村の豪族「仲間満慶」の母親であったとの説があり、
川平湾を見下ろす川平公園内に「鷲ユンタ」の碑が建っています。
歌詞・碑文
うふ(大)山ぬうちなんが なあ(長)山ぬすばなんが
大あこうぬむ(萌)ようり なりあこうぬさしようり
英傑満慶山は期限1465年に川平に生まれた。父は元の主、
母は仲間村つかさ仲間サカイ。ばし(鷲)ゆんたは母サカイが
詠んだと伝えられている。
本部(水)・ソレイユカルチャーセンター三郷(月)講師
寺澤 禎則
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